ヨーロッパとアメリカのカジノの歴史

ヨーロッパとアメリカのカジノの歴史

キャンブルは歴史上昔から知られており、初めて正式にカジノが見られるようになったのは1600年代だと言われています。

今回はヨーロッパとアメリカのカジノの歴史について見てみたいと思います。

ヨーロッパとアメリカのカジノの歴史

カジノの語源は?

語源は家を指すイタリア語の「casa」に縮小の語尾「-ino」が付いたものだと言われています。

言語により「カジノ」あるいは「カシノ」と発音されることもあります。

語源のイタリア語では基本「カジノ」、フランス語、ポルトガル語なども「カジノ」です。

スペイン語や英語では通常「カシノ」と発音。

日本語は「カジノ」です。

日本政府は「カジノ」という言葉のイメージを変えるため、カジノを含む統合型リゾート (IR) と呼んでいる。

ヨーロッパのカジノの歴史

カジノはヨーロッパ起源とされています。

まずはフランスから見てみましょう。

フランスのカジノ歴史

今から約300年前のルイ15世の時代にフランスでは、カジノの元となる賭博場が広がりました。

その賭博場は上流階級向けと庶民向けの2つのタイプに分かれて広がりました。

フランス革命でより人気へ

フランス革命によって王政が倒れると、賭博に対する制限が無くなり更に流行しました。

当初ナポレオンは賭博規制を行っていましたが、第三共和政の1907年に合法化されました。

カジノにフランス革命が関係してるとはスゴイですよね。

イタリアのカジノ

カジノ・ディ・ヴェネツィア

イタリアでは1638年に世界最古と言われるカジノ・ディ・ヴェネツィアが誕生しました。

「カジノ・ディ・ヴェネツィア」は、1638年から営業している世界最古のカジノです。

ちなみに、日本で1638年と言えば、「島原の乱」ですよね。

島原の乱とは、江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の百姓一揆。

ベネチアらしいルネッサンス様式の建物で、カジノとは思えないラグジュアリーな空間は広がっています。

カジノ内では、ブラックジャックやスロットマシーンを楽しむことができます。

住所Cannaregio, 2040, 30121 Venezia VE, イタリア
電話+390415297111
交通ニース・コートダジュール空港からニース駅までバスで約25分、ニース駅から徒歩5分、

ドイツのカジノ

バーデンバーデン

ドイツでは、南西部バーデン=ヴュルテンベルク州にある保養地のバーデン=バーデンに250年以上も前に作られたのが、今や「世界で最も美しいと言われるカジノ」と言われる「カジノ・バーデン」です。

ドイツで最も由緒ある有名なカジノで、豪華な佇まいは観光名所のひとつとしても人気です。

世界中から王侯貴族や文化人がこぞって訪れるようになったバーデン・バーデンは、高級温泉保養地として発展し、高級リゾートにふさわしいハイクラスのホテルやレストラン、高級ブランドショップにカラカラ・テルメやフリードリヒスバードといったルネッサンス様式の豪華な浴場もあります。

カジノは街の中心部にあるクアハウスにあり、一際目立つ白亜の建物内にはレストランやコンサートホールもあります。

イギリスのカジノ

イギリスカジノ:クロックフォード

イギリスには一度も営業を中断することなく継続営業中のカジノとしては世界最古の「クロックフォード」が現存します。

クロックフォード・カジノは、会員制のカジノクラブであるため、入場するには会員になる必要があります。

場所は政治家や貴族が住むロンドンの高級住宅地「メイフェア」です。

地下鉄「グリーンパーク」が最寄り駅となります。

次にアメリカのカジノを見てみたいと思います。

アメリカのカジノ歴史

ゴールドラッシュ時代

アメリカのカジノの始まりは1800年代のゴールドラッシュ時代にまでさかのぼります。

しばらく続いたゴールドラッシュも金が取りつくされたことにより終わりを迎えましたが、ネバダ州のほうでは基軸となる主要産業がなく、これからどうやって財源を得ていくかということが問題でした。

そこで、1931年にネバダ州は財源確保のために賭博を合法化することにしました。

フーバーダムの建設景気

運が良かったことは、ちょうど1931年に世界恐慌の経済政策のひとつとしてアリゾナ州とネバダ州の州境にある「フーバーダム」の建設が開始されたことです。

ダム建設のため多くの労働者がネバダ州のラスベガスに訪れ、つかの間の休息と遊びとしてカジノを利用しました。

このフーバーダムは1939年に完成しました。

砂漠のど真ん中にあるこのダムにより、水と電気の巨大なエネルギーを得てラスベガスは巨大都市としての第一歩を歩み始めます。

カジノとエンターテイメントの融合

1960年代以降、ラスベガスでは装飾や建築物を1つのテーマに合わせたテーマカジノが建設され、家族連れや地元客をターゲットにした新しいカジノが発展しました。

ショーやリゾート施設といったエンターテイメントとの融合施設が主流となっています。

カジノゲーム自体では他社と差別化が図れないのがカジノビジネスの欠点です。

しかし、エンターテイメントショーで自社に顧客を集め、たとえエンターテイメントショー自体が赤字でも、ギャンブルから収益を得るビジネスモデルが確立されました。

その後、カジノは120か国以上で合法化されており、国によって制限内容は大きく異なります。

世界で2000軒以上のカジノが存在し、観光資源の1つとして競争が行われています。

1950年代のラスベガスに代表されるように非合法組織の関与は大きな問題とされ、それに対抗する規制強化が行われてきました。

ニュージャージー州のカジノ

ニュージャージー州では、1976年に保養地のアトランティックシティ限定でカジノを合法化しました。

ラスベガス以上に厳しい規制があることから、カジノは12軒(2000年時点)と小規模だが、ニューヨークなどの大都市が近いため、年間3800万人が訪れています。

1980年代前半まで、アメリカ国内でカジノが合法化されていたのはネバダ州とニュージャージー州だけでしたが、1980年代後半から他の州でも合法化され、ミシシッピ州のチュニカ(Tunica)のように経済発展する地域が生まれました。

インディアナ州とアイオワ州のカジノ

インディアナ州やアイオワ州などでは船上にカジノが作られ、クルーズしながら或いは桟橋に繋いだままゲームが行われています。

インディアン・カジノ

インディアン自治区におけるカジノ(インディアン・カジノ)が存在します。

いくつかの自治区が、チャリティ等の目的限定で合法化しているビンゴについて制限を守らなかった事で州に訴えらましたが、自治区では州の禁止には従うが、「規制」には従う必要が無いと主張し、認められました。

自治区における賭博のルール作りのため、1988年にインディアン賭博規定法令(Indian Gaming Regulation Act)が定められました。

この法により、州と自治区の間で事前に協議が必要になったが、禁止されていないゲームについてカジノを開くことが認めらるようになりました。

1992年に開業したコネチカット州のフォックスウッズ・リゾート・カジノが成功すると、他の州の自治区でもカジノが建設され、2000年時点でインディアン・カジノは24以上の州に存在し、全体の利益は、ネバダ州を上回る約100億ドルと推測されています。

まとめ

アメリカが建国して240年ちょっとでヨーロッパは300年前からカジノがあったことを考えるとヨーロッパのカジノは歴史があります。

カジノビジネスの弱点は、カジノ単体では独自性を表現することが出来ません。

そこをカジノとエンターテイメントを融合させることで一大リゾート地の草分けがラスベガスです。

ラスベガスもフーバーダムがあってこそ水と電気をふんだんに使えることによりあの賑わいを可能にしたことを考えると感慨深いモノを感じますね。

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